発売元 : Nautilus Records
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Flexible music talk  (音楽柔!)          1   2   3


・日本の古典音楽は退屈か?5(終)
日本は明治以来、膨大な質と量を誇る西洋文化に圧倒され続けてきた。その根幹を成すものは即ち合理性である。日本が自国に足らざる物としてその研鑽と活用を最優先とした結果、自国の文化を必要以上におとしめてしまった何らかの経緯が存在したとしても不思議ではない。例えば現状の音に物足りなさを感じたら音数を増やす方向に向くのではなく、俳句や和歌の様に音そのものに深みを求めるのが日本的アプローチと言えそうだ。(10/6)

・日本の古典音楽は退屈か?4
つまり一言で云えば「今我々が耳にする古典音楽は本当に当時のままに継承されてきたものなのだろうか」という事である。何故なら、それらは我々にとっては古典であっても当時の人々にとってはリアルタイムの「流行歌」だった訳で、それが退屈で面白くない筈がないと単純に思うからだ。ここでひとつ思う事は、日本古来の楽曲に対して西洋音楽的なアプローチで臨んでも、曲本来の魅力を充分引き出し切れないのではないかという事である。(10/5)

・日本の古典音楽は退屈か?3
「マンツーマンによる伝承」は或る文化の継承にとって非常に有効で重要な手段であり、これ自体は現在に至っても変わらない。しかしこの方法は常に一定のリスクと向き合っている事も又、事実である。それは伝えられる側の能力と情熱が伝える側のそれと同等か、もしくはそれを上回っている必要がある事と、その時点で相互の尊敬、信頼関係が確立されている必要があるという、二つの条件が満たされなければ成り立たないという事である。(10/3)

・日本の古典音楽は退屈か?2
古典的絵画や造形物、或いは文学等と古典音楽が大きく異なる点は何と言っても当時の音源が皆無である事だ。しかも日本の場合、近代に至るまでは「楽譜で伝える」という事に熱心ではなく、あくまで人から人への伝承に頼ってきた。多分それが最も確実な伝承方法と考えられていたのだろうが、これはあながち間違いとは言えない。何故なら楽譜というものは高水準の音楽に対してはせいぜい50%程度しか機能しないと思われるからだ。(10/2)

・日本の古典音楽は退屈か?1
嘗ては自分もそう思っていた。やたらと冗長でリズムや変化に乏しく、だらだらした感じ・・・。昔の日本にはそんな音楽しかなかったんだと思っていたが、それが大きな間違いと気付かされたのは地歌による尺八の修行中、師匠の模範演奏を耳にしてからだ。その瞬間に今までの「邦楽」に対するイメージは根底から覆された。例えば絵画になぞらえれば「鳥獣戯画」は退屈ですか?「浮世絵」は取るに足らないものですかと問われるようなものだ。(10/1)

・良いアンサンブルとは何か5(終)
良いサウンドを作り出す為には事前の約束事や慣例にならった演奏も重要ですが、時にはその場の閃きにトライしてみる事も更なる向上の為には必要です。しかしそれが結果に結びつく為にはセクションや他のパートの協力が不可欠です。つまり誰かのアイデアに対しアンサンブル全体が呼応、即応出来る体制が無ければ「アイデアとは混乱の元」ともなりかねませんが、もしその場に相互の信頼関係があるなら決してそうはならないでしょう。(9/24)

・良いアンサンブルとは何か4
アンサンブルの場合、楽譜通りに演奏するだけでは本来の仕上がりのせいぜい50%程度の結果しか得られないと考えられます。謂わば「荒削り」の状態です。これを仕上げていく為にはセクション内は言うに及ばず各パート間の連携が最も重要となります。まず仕上がりのイメージを共有する事から始まり、そこに向かう為のアプローチ方法や個々のフレーズの具体的な解釈など、常に全体感、統一感の得られる方向を目指す必要があります。(9/23)

・良いアンサンブルとは何か3
アンサンブルでは楽器の種類ごとに役割分担が決まっています。ドラムやピアノの様に一台を一人で担当するものもあれば、管楽器や弦楽器など複数の演奏者が同種の楽器でセクションを作る場合もあります(ポピュラー音楽の場合は異なるリズム楽器でリズムセクションを構成するのが一般的)。これら各楽器の役割は楽譜に書かれている通りですが、事は「各自がただ楽譜通りに演奏すれば良い」というほど単純なものではありません。(9/22)

・良いアンサンブルとは何か2
アンサンブルの中での「色々」とは「不調和、不一致」の事です。それはもしかすると専門家でなければ気付かないレベルの事かも知れませんが、音のクォリティが犠牲となっている事は事実ですし、組織本来の潜在能力が存分に発揮出来ていないとすれば如何にも残念と言わざるを得ません。単に一定の技術を有した演奏家が集められて曲を演奏するという状況では、どうしてもアンサンブルの限界が生じてしまいます。一体何故でしょうか。(9/21)

・良いアンサンブルとは何か1
アンサンブルとはフランス語で「調和、統一」「共に、一緒に」を意味する言葉とされている。それはそれとして自分が長年アンサンブルの中に身を置いて思う事は、「アンサンブルは、まこと社会の縮図だ」ということです。実はアンサンブルの中では日々刹那せつなに色々な出来事が起きています。厳密な意味で異なる文化を持ち異なる教育を受け、厳密な意味での経験や技量の異なる人間の集まりに於いては色々あって当たり前と考えます。(9/20)

・音楽の用途について5(終)
例えば軍歌は戦時中の戦意高揚を目的に作られたものですから戦争が終われば役目を終えます。同様にロックもまた平穏で安らぎに満ちた空間に於いて存在意義を失うかも知れません。このように時代の申し子として生まれ、栄え、役目を終える事は何も音楽に限った事ではなく、物の道理、自然の摂理とすら思えます。ここで大切な事は繁栄を維持し続ける事が重要ではなく、如何なる輝きを以ってしてその役割を果たし終えるかでしょう。(9/1)

・音楽の用途について4
60〜70年代、世界は繁栄の一方で未知の不安要素を抱え始めました。その空気感を背景に急速に台頭してきたのがロックでした。大音量、シンプル且つ強力なビート、粗暴とも思えるストレートな表現はオーバードライブなサウンドを伴って、フォーク系メッセージソングと共に時代のニーズに呼応する形で展開して行きました。しかしこれらの強力な問題提起のエネルギーは成果を見る事無くやがて衰退して行きます。矛先を逸らされたのです。(8/31)

・音楽の用途について3
音楽は世界共通の言語」とよく耳にしますが、言語であるからには必ずメッセージが存在し、テーマという意図が存在する筈です。それが時代や社会情勢に起因しない普遍的なものであれば、(文化的背景の共通性を前提として)何時の世にも一定のニーズがあると言えましょう。一方で時代の空気感を色濃く反映し、より具体的な問題提起を内在させた音楽は、特定の時代背景の下で非常に強いインパクトを与え得るものと考えられます。(8/30)

・音楽の用途について2
執着とは既に役割を終えたモノ若しくは役割を終えつつあるモノに対し、それを際限なく追い続ける行為と言えます。その為に事実の歪曲や情報の遮断、捏造などが行われる事もあり、それは他者はともかくも自分自身にとってのリスクの要因と成り得ます。何故なら、それでは前を向いて歩いている事にならないからです。一般にツールというものは現況を的確に把握した上で最適と思われるものを選択するという事に疑問の余地はないでしょう。(8/29)

・音楽の用途について1
 音楽は外圧によって人の内面をコントロールするツールである・・・と、味も素っ気もないばかりか何かの悪意すら感じさせる文になってしまいましたが、良くも悪くもそういう事です。ツールというのは目的の為の手立てとすれば、あの悪名高い銃でさえも開拓時代に熊や狼から身を守りつつ食料を確保する為に不可欠のツールだった訳で、その時代に於ける銃に対する愛着と信頼の程は想像に難くありません。それはやがて銃への執着となります。(8/28)

・音楽は金次第か?5(終)
MIDI音楽を制作する為のハードウェア、ソフトウェア環境を整えるにもそれなりの投資が必要ですが、生楽器に比べると遥かに安価です。しかし音源自体は元々生楽器を録音したものが一般的で、謂わば生楽器の代替品に過ぎません。そもそもレコードやCDも生演奏の代替品として開発され、オーディオ技術とは「如何にナマに近づけるか」に尽きます。経済的な妥協や回答の一方で、この単純明快な構造の事も忘れてはならないと思います。(8/24)

・音楽は金次第か?4
60〜80年代に制作されたメジャーな音源にはかなりの制作費が掛けられているように思います。アメリカの或るバンドの逸話としてたった1曲の収録の為に200スタジオ時間を掛けたなんて武勇伝?がまかり通っていました。私たちがそのような過去の作品をYou tubeや配信などで安価に楽しめる事がそのまま「お金を掛けずして音楽を提供する」という意味になっていないことは明白です。過去の作品の殆どには相応のお金が掛かっています。(8/23)

・音楽は金次第か?3
例えば演奏中に音色やニュアンスのコントロールが思うように行かなかった場合、それが自分のせいなのか楽器の性能の限界によるものなのか理解する必要があります。もし楽器のせいであったなら、以後その楽器を使い続ける事は事実上困難でしょう。その結果私たちが何気なく聴いている音楽は、たとえ録音媒体としての制作費用が一切掛かっていない生演奏であっても、既に数百万〜数千万円という投資の上に成り立っているのです。(8/22)

・音楽は金次第か?2
一般的に音楽家たちは楽器にお金を掛ける様です。時には収入に対してアンバランスではないかと思われるほどの楽器を購入したりします。(=楽器貧乏?)私の長年の調査?によれば、これは決して見栄やハッタリの為ではありません。例えて見ればスポーツのアスリートがウェアやシューズの品質や性能にまでこだわり抜くのと似ています。音楽家が楽器の品質や性能部分での妥協を嫌うのは結果の全てを正確に把握したいが為なのです。(8/21)

・音楽は金次第か?1
ネット上に存在する論争・・・。質の高いアルバムCDを提供する為には1500万円掛ける必要があるとして低予算化の現状を嘆く一方で、音楽の質とは音楽性に依存するもので、ビジネスである限りは予算の制約内で工夫すべしという意見。インディーズやネット配信など時代の流れから見れば後者に分がありそうな雰囲気です。両者共に業界の方のようですがそれはそれとして、発信元である当の音楽家たちは実際どのような考えなのでしょう。(8/18)

・カラオケ文化って何?5(終)
つまりカラオケに於ける歌と伴奏は音楽的な関わり合いが乏しく、良く言えば気楽に、悪く言えば好き勝手に歌えるということです。また抑揚の幅が少ない事で一本調子になりがちですが、元々そういうものなので自然と敷居が低くなり取っ付き易くなるだけで、特に日本人の積極性が底上げされた訳でもないと思います。カラオケには利便性の反面、前述の如き特性があるので、あくまで音楽文化の向上と相反しない意識と活用法が望まれます。(8/15)

・カラオケ文化って何?4
カラオケも上質のものはほぼレコーディング通りの仕上がりとなっており、大変豪華なサウンドに聴こえます。更にガイド付き歌詞に音程の上げ下げなど、あらゆる面で生伴奏より優れているかの様に思えます。しかし生演奏と決定的に違う事があります。ひとつは2D=平面的である事。二つ目は歌の状態と関係なく鳴っている事。三つ目はダイナミクスの幅に制限がある事。最後に人との関わりが全くない事。これらは音楽的デメリットと言えます。(8/14)

・カラオケ文化って何?3
カラオケの登場以前に人前で歌を披露するには伴奏が必要でした。ギター、アコーディオン、ピアノなどソロの伴奏者から、フル編成のバンドに至るまで形態は様々にしても、とにかく専門家との関わりが必要でした。イントロでリズムと音程をしっかり把握し、「ハイッ」という伴奏者の合図で歌いだす・・・日頃ほとんど経験出来ないこの状況は、相当の緊張感とプレッシャーであったろうと思います。人前で歌うとはそれほど敷居の高いものでした。(8/13)

・カラオケ文化って何?2
文化というものは、年月を経て少しずつ積み上げられた価値観とその成果という側面を持ち、更に磨かれて向上する事が良しとされ、滅多な事では全面否定されたり、衰退、消滅を良しとされる事はないと思います。にもかかわらず、現実には多くの上質な文化的価値観が忘れ去られ、消滅の危機に晒されています。理由のひとつは選択肢の多様化=新しい価値観の流入、もうひとつは経済との関わりで、このふたつは底辺でリンクしています。(8/12)

・カラオケ文化って何?1
そもそも「文化」とは集約すれば社会的に受け入れられ広く共有されている価値観だと思うのですが、自分のように音楽業界の人間として、その発祥の時点から文化的影響を肌で感じてきた者の感じ方は、またちょっと違うのかも知れません。余談ですが昔、仕事で行った先のオーナーが「ウチの店がカラオケの元祖」と自慢げに話してました。お客の芸能人のひとりが歌のレコーディング用のマイナスワンを持ち込んだのが始まりとの事でした。(8/11)