発売元 : Nautilus Records
http://nautilus.shop-pro.jp/

Monologue (独り言)                1     2     3     4

・ネット社会では以前から一般のマスメディアでは扱われる事のない様々な情報や言論が開陳されていて、それはそれで意味のある事だと思う。そういう自分も利用者の一人として他人事ではないのだが、取り分け心掛けたいと思うのは「死ね、消えろ」などの言葉に表されるところの「過激な排他的表現」を避ける事だ。確かにインパクトはあるし、事は急を要するのだとするご本人たちの切迫感も解らないではないが、そもそも「死ねという言葉」と「死ねという思い」の間にさほどの隔たりは無く、それまでが如何に正しい主張であっても、その一線を越えた瞬間に「間違い」となってしまう。そしてこれはとても残念な事だと思う。私なりに時には他人と異なる意見も開陳するが、その反面「排他思想」は無い。その方がより「賛同を得易い」と思うのが理由のひとつとなっている。(2015/03/07)

・以前、あるラジオ番組で農家の人が「我々百姓は・・・」と自らを何回もそう呼ぶので、アナウンサーが反応出来ずに困っている状況が有ったが、多分その人にとっては「農家」よりも誇り高い響きだったのだろう。それと同じ意味で私は自らを「老いぼれ」と呼びたい。それにしても近年の老いぼれ連中のメンタリティには正直驚かされる。生物学的にも老いぼれが肥え太る事に依って若い世代が圧迫されるなどあってはならないし、私自身は一旦事あれば老いぼれとして矢面に立って射抜かれようとも若い世代を護りたいと思うし、それこそ正に老いぼれの真骨頂ではないかと思っている。それを自覚するためにも、この際「老いぼれ」という言葉が必要なのだ。(2015/02/26)

・最近、うちのテレビのチャンネルがまた減りました。しかも2チャンネル同時に無くなりました。それは1と2です。これで約半数が消滅したことになります。
何れのチャンネルも「トップとスポンサーに問題がある事」がその理由です。厳密に言えば、どこも「全く問題が無い」という訳ではないのでしょうが、「非道過ぎる」と、個々の番組云々以前に「チャンネル総体のニュアンス」に影響してしまう様に思います。これはもちろんテレビ(メディア)だけの話ではなく、組織というものは例外なくそうだということです。例えば日本国という組織のトップがダメなら日本国全部がダメになります。そのような時こそ自治体や心ある企業など、独立性を有する「内部組織」が意地を見せて欲しいものです。(沖縄は頑張っています。)総論として、くだらん組織はいっぺん内部崩壊させた方が良いです。(2015/02/23)

・まずは「競争社会との決別」を考えるべきだと思います。そうすれば勝ち組、負け組などという馬鹿げた概念ともお別れ出来ます。そもそも「競争原理が社会の進歩、発展を促す」などという寝言はいい加減やめた方が良いです。実際、他人を出し抜こうという「浅ましい心」が世に蔓延しただけではないですか。大体そのような「人間らしからぬ心」で社会を良く出来るワケ有りません!本気で社会を良くしたいなら「困っている人、苦しんでいる人を無くそう」という志さえあれば十分でしょう。そういう人は、そのために何だってやりますよ。だってそれが元々の「人間」という意味です。(2015/02/16)

・「クルスクの戦い」は、元より第二次世界大戦のさなかでの出来事でした。そこで思うに、大戦前夜とは(ちょうど今と同じような)まさか世界規模の戦争に巻き込まれるとは誰も考えていない、しかし判る者にはどうしようもないキナ臭さを禁じ得ないといった独特な空気感に覆い尽くされていたものと想像されます。そこには必ずワンパターンな「過激」を糾弾しつつ寄ってたかって「過激の連鎖」を醸成していく構造と、「経済発展」をエサにした陳腐な「目くらまし」が罷り通る土壌が存在する様に思えてなりません。そしてこれは断じて山火事のように「自然発生」するものではありません。故に止める手立てが無い訳でないにしても、当然手遅れということだってあるのでしょう。(2015/02/04)

・当然の事ですが、改めて「報道規制」の現実を今般目の当たりにするに及んで、先の大戦に於ける大本営を想起致しました。政府が国民を蚊帳の外に置きたがる時は、およそ民意に反したことをやりたい場合に限り、「高度な政治的判断」とかいう万能の言葉でお茶を濁すことになるのだとは思いますが、「民意などどうでもいい」という本音だけは隠し様もありません。しかし民主主義国家である限り、その原因は「民意の低さ」にあるわけですから、今更文句の付けようもありませんが、「だます方も悪いが、だまされる方も相応に悪いのだ」ということだけは、肝に銘じるべきだと思います。(2015/02/01)

・昨今の中東情勢関連のニュースの扱いの中で、某テレビ局がおそらくは日本政府の要請(or 命令?)に呼応していると見られる「露骨な情報操作」を行おうとしているのは、甚だ印象がよろしくないと思う。何故なら、それらはネットで公然と公開されていて簡単に確認出来、更に他局の何れもがそのように稚拙な「隠蔽工作」じみた事を行っていない現状があるからだ。それ故、某テレビ局のみが突出した感があり、何かしら薄気味の悪さが残る。よしんば政府の言いなりだとしても、純然たる「国営放送」であればそれも理解出来るが、受信機があるとかの理由で安くない受信料(=視聴料)を強制的に徴収している中でのそれは、某局を公明正大と信じて止まない視聴者に対する背信行為とも受け取れる。繰り返すが、敢えてそれをやりたければ「国営放送」としての立場でやれば良いと思う。(2015/01/26)

・還暦を迎えてこの方、出来る(=やってもいい)コトが急に増えた様な気がする。それでもってこのところ何やかにやと気持ちの中では忙しい。・・・この人変なことを言うなあ、と思われるでしょうが、どうせ端から変わり者なので一向構いません。しかし年寄り特有の開き直ったような図々しさには気を付けたいと思う。そう言えば「早く60歳になりたい」との思いから苦節30年、ようやく思いが適った事になる。しかし未だ判らないのは「ワシは〇〇なんじゃ」とか、あれは何歳からOKになるんでしょうか?(どうしても言いたい訳では無いが)(11/15)

・消去法の落とし穴・・・これは間違っている。そういうのは正しくない。ああいうのは良くないなどと言いながら、実害に照らして物事をどんどん排除していくと、本当に良いモノが見えてくる・・・と思いきや、そうはいかない。答えは「0」=空っぽの世界が残る。その理由は明らかだ。故に自分はそのような作業には加担したくないのだ。無論、良いモノを「良い」と言ったら大変な事になるというコトは熟知しているつもりだが、それでもいいと思っている。(7/30)

・「二度ある事は三度ある」とは良く言ったものだが、それ以前に「一度あった事は二度あるかも」と思うべき時期に来ている様に思う。このところ例年見舞われる「想定外の異常気象」・・・しかし予報、警報が出た時点で実は「想定内」なのだ。少なくともその時点で自衛隊(機動隊も!)の部隊編成、一部部隊の移動が為されたとしても決して間違いとは言えない。増して市からの要請を県がむげに断るなど、面子以外に理由が見当たらない。しかし面子に拘った挙句に面子を潰す時代が既に来ている事は間違いないだろう。(2/23)

・プロモの次の一手のイメージが浮かぶ。実現可能かどうかはこれから検証作業に掛かるが、何れにせよ投資は必要だ。しかし考えて見ると、投資というものは経済効果がそれに見合うものでなければすべきではない事は自明の理。となればこれは正確にはプロモーションと呼べない作業、むしろ作品を補完すべき新たな作品ということなのかも知れない。そこそこの作品に対してそれなりの制作費を掛ける。それなら至極真っ当な話だ。(1/26)

・「キレイ事を言うな。」というフレーズを嘗ては良く耳にした。おそらくは高度成長期、またはバブル経済のイケイケムードの最中の事だったのだろうか。世の中の仕組みは複雑で、子供じみた善悪、正否の感覚でいられては困る・・・と言う様な、ちょっと上から目線的社会通念がまかり通る時代だったのかも知れないが、最近とんと聞かなくなった。ほとんど「死語」に近い様で、もしかすると社会は僅かながら良い方向に向かっているのかも・・・。(1/23)

・HALの新メンバー、旧メンバーという認識は全く当たらない、少なくとも自分はそのように考えた事は一度もない。HALというFlexなシステムだと思っている。(2014/1/18)