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Monologue (独り言)                1     2     3     4

・別サイトにも書いた事だが、もし自分の関わる人、団体、会社組織などが社会に対して有害であることを知ったり感じたりしてしまったら、その人はどうすれば良いのだろう?1.その場で騒ぎ立てる。2.こっそり内部告発する。3.黙ってその場を去る。4.見て見ぬ振りをする。まあ殆どの人は4番だろう。理由は「当面リスクは無いし、誰かが何とかするだろう」・・・誰も何ともしないヨ。そうやってだらしなくずるずると悪化の一途を辿ってきたのが今の我々の社会。その元凶は当事者意識の欠落に尽きる。「社会全体の問題」という言葉を「アンタが当事者だヨ」という意味に理解出来ない様では人間終わりだと思う。(2015/05/11)

・近年「現実と仮想の反転現象」とでも言える状況が世情に蔓延している様に思う。つまり「現実感の薄れた現実とネット上のリアリティ」の様なことだが、これらは主に意図的な情報操作によってもたらされるものだと思う。もっと言えば、本来我々の日常にとって「意味の有るものや関わりの深いもの」を敢えて「意味や関わりが浅いもの」の様に扱えば我々はたちどころに現実を見失う。一方で本来仮想空間であるはずのネットが現実感を回復させるための最後の砦としてせめぎ合いの修羅場と化す。こんなはずではなかった・・・なんて感慨はこの際どうでもいいので、自分の五感で現実をしっかり感じることに努めましょう。(2015/05/05)

・善良なのは結構な事ですが、たまには「悪事をはたらく人」の身になって物事を見たり考えたりして見る方が良いと思う。自分はしばしばそういう事をする。(どちらかというとそういうのは得意な方だ。少なくとも相当意地悪くもなれる。)そうすると実はいろいろな事が解ったりするのだ。例えば自分が権力者ならインターネット上の全ての個人情報を掌握し、一元的に管理する事を真っ先に考える。と思って調べたら裏では案の定とっくに行われていたんですね。(マイナンバーも同じ発想だと自分の中の悪巧みが囁きます。)それから金融についても謀略のネタは幾らでも思い付きます。一番おいしいのはやはり株価操作でしょう。ハイパーインフレから恐慌まで自由に操作出来れば無敵になれます、と思ったらやっぱり昔からとっくに行われていたんですね。ということで、ここいらで我々全員が経済の基本は「バーター制」であることを再認識すべきです。(2015/05/03)

・40年間の研究成果として解った事が有る。これだけは誰が何と言おうと絶対に譲れない。それは「人を殺してはならない」という事だ。そんな事は当たり前と思う前に、自分が支持する政党や宗教団体、所属する組織等がある種の正当性を以って「戦争や制裁」を容認する姿勢を見せた時、反射的に「NO!」という意思を表明出来るか否か考えて見て欲しい。「相手がテロならYES!」とか、そんな生半可な事では全くダメだ。そんな結論のために40年も掛けるバカはいない。またその中途半端さ故に有史以来未だに殺し合いが絶えない訳だからそれはもう無しだ。例えば1人が武器を持って暴れようとしたら、10人で一斉に跳び掛かって取り押さえて武器を奪って下さい。そしてみんなで話を聞いてあげて下さい。そしてみんなで出来るだけの事をしてあげて下さい。誠意が伝われば友達になれるでしょう。人間ならそんなことは簡単に出来るはずです。(2015/04/04)

・幸いな事に未だ地球上のそこここには、いわゆる「地球の原風景」と称される手付かずの素晴らしく豊かで雄大な自然が残されていて、我々の如き「文明に毒された人間」は、その地に赴くことによって「心が心底癒される感覚」を覚えることが出来るのだそうだ。しかし、もしそうだとしても、そんな事が誰にでも簡単に出来る訳は無い。では我々に出来る事とは何か?それは忘れられた「心の原風景」を取り戻す事だと思う。これなら居ながらにして出来る。それは幼い頃の「童心」に立ち返る事だ。実は古代人は遍く成長して大人になっても、心は「童心のまま」だった事は容易に想像出来る。何故なら自然と調和して生きようとすれば、他に選択肢が無いからだ。これを期に、我々は自分たちが如何に好き好んで「不自然な生き方」を選択しているのかについて、そろそろ真剣に考えるべきだと思う。全くバカ見たい。(2015/03/20)

・「40歳になったら人は自分の顔に責任を持たねばならない。」という有名な言葉があるが、まことに名言である。誤解を恐れずに言わせてもらえば、近年に於けるそれなりの地位や立場の人たちには、ぜひ鏡で自分の顔を見て欲しいと思う。人間性の欠落した顔立ちには品性のかけらも無く、少なくとも人間らしさの片鱗も感じられない。(これでも表現を和らげているのだ。)そのようなことでは「人としての責任はとても果たせないだろう。」と、言葉の主は言いたかったのではなかろうか。ついでに言えば声質にも人柄は表れる。具体的にどうのこうのという説明は差し控えるが、実は人の内面は「見分ける目と聞き分ける耳」さえあれば簡単に解る仕掛けになっているということらしい。(2015/03/17)

・最近「頭隠して尻隠さず」状態の人がちょっと多すぎる様に思う。昔は曲りなりにも(悪い事をする人は)本音と建前がうまく使い分けられていて、みんな後から騙された事を知ったものだが今は、やっている端からボロが出てくる始末で、こうなると悲しいかな最早末期症状と言わざるを得ない。これは組織によらず個人によらず内部での整合性が全く取れていない事を意味し、既に内部崩壊が始まっている証だと思う。そして近い将来、事は良い方向か悪い方向かの何れかに雪崩を打って傾くこととなると思われるが、肝心な事は正にその時、自分たち一人ひとりに何が出来るかということだろう。少なくともポカンと口を開けて呆けている場合ではない。(2015/03/15)

・変なものを変と感じることは重要です。これは子どもが長けていて大人はイマイチです。何故なら大人は「周囲をはばかる」からです。そして大抵はみんなが良いと言うものを良いと思い、みんなが変というものを変と思う様にしているみたいです。一方で子どもは何故どうして変なのかを的確に指摘出来ません。何故なら「自分たちが正しい尺度を持っているという自覚が無い」からです。そして大人から「馬鹿だねアンタは」と言われると素直に「自分は馬鹿か」と思ってしまうのです。以上のことからこの世で最強の者は「童心を持った大人」です。何故なら変なものを良いとする屁理屈を喝破粉砕出来るからです。但しそういう人は他人を貶めたりはしません。(2015/03/11)