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Monologue (独り言)                1    2     3     4

・最近NHKのニュースを見ていると、必ずアナウンサーが読み間違えたりつっかえたりと聞き苦しくて仕方が無い。そんな細かい事と思うかも知れないが、問題は「仕事に対する誇りと意気込み」が全く感じられない事だ。それもそのはずで、ニュースは事実を伝えることに意義が有るにも関わらず、近年ではNHKは当たり前の様に記事の選別はもとより、文面にもあからさまに歪曲とも言える手心を加え、コメントの腰の引け様は哀れを感じるまでに萎縮して見るに耐えない。要するにスタッフたちは「自分たちがろくでもない片棒担ぎをさせられている」ことを知っているのだ。つまり「国民を欺く」という卑劣な行為に手を染めている後ろめたさに「つっかえる」というのが精一杯の良心的解釈になるが、さもなくば「単なるヨゴレの若ボケ」という事にしかならない。(2016/01/26)

・安倍晋三と生まれ年が同じということで大変に迷惑している。同種の人間と思われる恐れがあるからだ。しかも日にちが近い!(向こうが25日年下)この年生まれは確かに(放置しておけば)「高慢」な傾向を持ちやすいと言えるが、それを「取り柄」か何かと勘違いしているのは実際あの男ぐらいなものだろう。親とか周りが注意しなかったのが不思議だ。それに普通は年を重ねるに従って自分で気付いて「欠点」は直すものだ。よほどおかしな育ち方をしたとしか思えない。日本の代表は、少なくとも普通の育ちをした人にお願いしたいものだが、いったい誰が選んだのだ?はっきり言って「私では有りません!」(2016/01/22)

・2016年は「変化、変動の年」と年初にブログに書いた通り、ある程度は心構えが必要になると思う。しかしもっとも覚悟が必要となるのは、これまで「我が世の春」とばかり好き勝手やってきた連中だろう。(大体は権力者か、その傘の下に集まる連中だ。)そういう人々は、平然と他人を「蹂躙」しつつも全く心を痛める様子も無いが、それが許されると言うなら逆に「霊界の決定により有無を言わさず除去されても文句は言えない」事になる。自分がその対象かどうかは発狂していない限り知っているはずだが、この場に及んで「霊界の裁きなど存在しない」という「全く根拠の無い幻想」に望みを託しているに過ぎない。だが残念ながら「霊界の裁き」は実在する。ただこの人々とは違って「霊界」は日夜その件で心を痛めている。(2016/1/20)

・ニュースで「大阪府警の50代の警察官(警部補)が署内で部下に実弾入りの拳銃を突き付けた」と言っていた。大阪府警では少し前にも交番で同様の事件があったばかりだというが、よほど人に向かって銃を向けたいのか?などと言っている場合ではなく「気が狂っている」としか思えない。自分は嘗て銃砲所持免許を持っていたので尚更良く解るが、発覚すれば一発免許取り消しの上、逮捕拘留は免れない犯罪行為だ。これも多分「氷山の一角」だろうが、このような人たちに「国を守る、治安を守る」などと言ったり考えたりして欲しくない。その前に「自分の良心」を守ってもらいたいと切に願うばかりだ。。(2015/11/26)

・今や「国民は政府から敵視されている」と言っても良いだろう。「敵」とは「行く手を阻むもの」であり「安心安全(=安泰)を脅かすもの」であろうから、その意味では国民完全無視で内部目標に向けてひた走る現政府にとっては、確かに国民は「政府の敵」と見なされても仕方が無いとも言えるが、本当は話が逆だ。本来なら国民の側が先に危機感を感じて権力に不信を抱き、確信に至れば敵と見なすという構図が正しいのであって、それを(暴力ではなく)声に出したり投票行動で示せば良いだけの話で、少なくともそれが(数の論理から)国民と政府のノーマルな関係というものだが現実は違う。政府に先に敵視され先手を打たれることの恐ろしさなどこの後に及んでわざわざ味わう必要などなかったはずだが、総体的な民意が低いと必ずそうなる。何故なら「権力」とは元来「人を狂わせ易いもの」だからだ。現に狂って箍(たが)が外れて熱に浮かれて暴走しているとしか思えない。解り易く言うなら、すべて「逆」をやっていると思えば良い。(2015/09/08)

・1997年創設の「日本会議」という政治的主旨を持つ任意団体があって、一口で言えば「戦後の民主主義国家」を否定し「戦前回帰」即ち明治憲法の下での「全体主義国家」もしくはそれに近い構想を実現させる目的を持つものとの事。問題は政府閣僚を始め(政権与党を中心とした)国会議員の多数が実質的なメンバーとなっている事実だ。何れにせよメンバーのほぼ全員が各界のいわゆる「特権階級」とされる人々であり、察するところ「物事が遅々として進まない愚衆政治にはいい加減飽き飽きした」というところだろう。ではお手並み拝見と行きたいところだが、その「日本会議」の影響が色濃く表れているとされる2006年改訂の(品格のかけらもない)「教育基本法」を精査するに付け「実力のほど」は判った。もう沢山だ。因みに近年では主要海外メディアからも「危険視」されるに至っている。但し国内メディアは当然ながら(権力の塊のような)「日本会議」について絶対に報じられません。(2015/07/02)

・最近「なりふり構わない人間」が増えてきた。というよりモノに憑り付かれた状態か何かで最早周りが見えていないのだろう。申し訳無いが末期症状だ。因みに昔は少なくとも悪事を働くにしろ周囲を気にしてこっそりやった。それが今時分はすっかり安心して「舐めて掛かっている」のだろうが油断大敵というのは何も善人だけの話ではない。悪人だって油断大敵なのだ。巨悪であろうが無かろうが、何百年の歴史があろうが無かろうが、頭が良かろうが悪かろうが、見えるべきが見えず聞こえるべきが聞こえなければどうにもならないのは皆同じだ。(2015/06/19)

・少し前にブログの方で「如何に世間で滅茶苦茶なことが起きていてもメディアがそれを滅茶苦茶と言い立てないのは、おそらく滅茶苦茶が放送禁止用語なのだろう」という旨のことを書いた矢先、TBSの時事番組で「安保法制」に於ける政府の対応へのコメンテーターの一言で目が点に・・・。「滅茶苦茶ですよ!」だって・・・。「エッ?それって・・・・・」放送禁止用語じゃなかったのネ?(2015/06/14)

・衆議院憲法審査会の参考人質疑の場で、出席した三人の憲法学者全員が、現在国会で審議中の「安保関連法案」について「憲法違反」との認識を示したとか。政府は「閣議決定されたものだから」という理由で正当性を主張したいらしいが、単に「閣議決定のレベルの低さ」を露呈させただけの事だろう。この上何を言ってもみっともないだけだと思う。そもそも人間たるもの、美辞麗句を並べ立てる時に限って中身が乏しいと大昔から相場が決まっている。心すべし!(2015/06/05)

・先頃始まった「安保関連法案の国会審議」が恥ずかし過ぎる。取り分け政府側の回答レベルの低さ、審議に臨む態度の悪さは歴代群を抜いており、とても国の行く末を真剣に案じている姿とは認め難く、どう考えても悪い冗談としか思えない。しかもそうなる事を見越した「政府寄りの公共放送」が初日の中継を見送り、さすがに数多の方面からの突き上げを食らって翌日から(渋々)中継を始めたという顛末のオマケまで付いた。それもこれも含めてみっともなさ過ぎて、遂に堕ちるところまで堕ちたなという感じ。ならば後は上るしかないだろう。(2015/05/30)

・「自民党日本国憲法改正草案」の中の第九章九十八条「緊急事態宣言」がやけに引っ掛かる。要約すると「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態に於いて、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」とあり、続く九十九条に「内閣は法律と同一の効力を有する政令を発することができる。」またその際には「何人も国その他公の機関の指示に従わなければならない。」とある。みなさんはこれのどこが引っ掛かるかおわかりでしょうか?とにかく憲法学者を初めかなり多くの人が同じところで引っ掛かっている様です。何れにせよ国民全員が問題点だけは押えておいた方が良いと思います。(2015/05/21)